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東北の春は……まだまだですねッ!

先週の土曜日から……昨年の大震災とその余波での大津波でかつて経験の無い被害にあった東北地方の沿岸沿いに……被災後に初めて勇気を振り絞って足を向けて行ってきましたッ!

出発した当日の土曜日には私の自宅付近には……春爛漫を漂わせた桜の花びらが朝の涼しい風に舞っていて……爽やかな気持ちを抱きながらの早朝の車の運転で熊谷駅を目指しましたッ!

途上の風景は……自宅から熊谷に近づきにつれて変化を見せて…満開の桜の花々から…葉桜に木々が変わるのを見取ることが出来ましたが……桜の花の季節を過ぎてその他の花々が咲き誇り始めているのも気付かされ…完全な春の到来を感じさせてくれましたッ!

熊谷駅から新幹線にて大宮に到着して……大宮駅からは最新の新幹線“はやて”に乗り込み……仙台までノンストップで行きましたッ……その所要時間がなんと二時間と少しだったのには驚きでしたッ!

仙台駅で今回の本来の目的である最大の大津波の被災地である陸前高田への……私達の心尽くしの桜の苗を贈呈しての植樹のイベントに参加してくれた心ある有志の人達と合流しましたッ!

参加して頂いて有志の人達は……大きな会社の会長さんや社長さん……それに老若男女の特に目の輝きの綺麗な方々ばかりの人達で…同じくバスに乗り込み仙台から大津波に被害に合った東北の沿岸沿いを同じ目線で見つめながら……きっと同じ想いを共有し合った新しい出逢いの仲間でしたよッ!

テレビのニュースで黒く濁った津波が総てを押し流す画像を見たと想いますが…その仙台の被災の跡をバスから初めて見た時には……驚愕の想いで私の脳には衝撃しか感じ得ませんでしたッ………私の歩んだ過去の人生では一度も感じた事の無い衝撃が…あまりの悲惨な状態に身体全体に走ったのを経験しましたッ!

仙台から石巻へ向かい……その石巻の光景は仙台で受けた衝撃を更に上回り……海辺から少し離れた小高い丘の辺りまでを舐め尽くすように……本当に総てを流し尽くしており…残っているのは人家の有った痕跡を残す基礎のコンクリートばかりでしたッ……丘の手前に廃墟となった総ての窓ガラスが割れた小学校の影が物悲しさを訴えていましたッ………ニュースで知っていると想いますが門脇小学校跡ですッ……石巻病院もその被災の激しさを物語ってましたッ!

石巻を後にして女川町に向かったのですが……瓦礫は片付けられて一ヶ所に集められたり…数えきれな台数の車の残骸が積まれていましたが……綺麗に総てを流されてしまった跡地を目にして言葉を失って……参加していた総ての人はその光景を目にして立ち尽くすばかりでしたッ!

北上川の畔に建っていた大川小学校へ立ち寄った時には……身の毛もよだつ想いを感じましたッ……大きな川の流れの北上川ど切り立った山の間にその小学校は有って……北上川を遡上した大津波は一瞬にして小学校を呑み込み…奥の小高く切り立った山にその津波が達した痕跡を目にして……当時の児童達は逃げる場所も見当たらずに波に呑まれてしまった事を想うと……本当に…本当に…表す言葉も見つかりませんッ!

鉄筋コンクリートで造られたその学校以外の建物はその付近には総て津波に流されて無かったですッ………その小学校の入り口付近だったろう場所に多くの幼い命を惜しんで……積み重ねられた献花が淋しさを一層掻き立ていましたッ…線香の匂いが今でも私の鼻腔に残っていますッ!

北上川の川沿いを上って…南三陸町に入った時には…何度も…何度も…テレビで見た光景が目に入ってきましたッ………南三陸町の防災庁舎は災害時には司令塔的な役割を果たすべき場所の筈なのに…庁舎の総てが大津波に呑まれた状態であって………ここから住民に最後の最後まで…自分が津波に飲まれてしまうまでスピーカーで避難を呼び掛けた女性の声の響きが聞こえるような錯覚に陥ったのは私だけだったでしょうかッ!?

後ろ髪を引かれるような想いを背負いながら……今夜の宿泊場所である気仙沼へ向かいましたッ………気仙沼の港の近くの小高い場所にそのホテルは有って……その付近は総ての建物が大津波に舐め尽くされており…小高い場所の私達が宿泊したホテルも二階までは被害に合ったそうですッ!

ただ……早期の気仙沼の復興の為には…多くの人の出入りが必要と感じで使命感に駆られてのホテルの再開を図ったらしいですッ……気仙沼での他から来た人達が泊まれるのは…このホテルが唯一らしく………復興作業の人や観光客や役所関係の人やボランティアらしき人等々…いろんな方々が宿泊していましたッ!

ホテルから見た夜景は灯りが探さないと無いくらいに静まり返っていて……かつての気仙沼の賑わいは一切感じられない夜を経験しましたッ………街には海の潮の匂いとともに重油の油臭さが鼻を刺激してましたッ!

翌日は今回の目的地でもある陸前高田に早朝より入りましたッ………気仙沼から陸前高田へ入ったのですが…まずは以前は陸前高田の海沿いを多くの松林が景観を彩っていたのですが……そんな何千本もの松の木が大津波で流されてしまったのですが……一本だけ残った松の木が出迎えてくれましたッ!

地元の人の話によると……陸前高田の海沿いは今回の大地震で地盤沈下を起こしており…この唯一残った一本の松は現在は海水を根から吸っており…生き残ることは難しいらしいですッ!
一生懸命にその生命を守ろうと…その木に手立てを施している様子を見て……神にも祈る気持ちを現地に置いてきましたッ!

“一本松”を後にして暫らく行くと……本当に大きい船が陸地にどっかりと腰を据えるような格好で置いてあるのを目にする事が出来ましたッ………大津波の凄さを物語るには充分過ぎる程の光景ですッ!

その回りのかつては賑わいを見せていた街並みは……一切の何物も残さずに洗い流したように無かったんですよッ……言葉は適当では無いかも知れませんが大平原という言葉が合った状態でしたッ!

陸前高田への大津波は海辺から十キロも奥地に被害をもたらしたそうですッ……高台にしか家は見当たらず…総てが皆無の光景は本当に筆舌に尽くせないものがありますッ!

今回の陸前高田への桜の木の苗を寄贈しての植樹は…本来は私達の大事な仲間であるエクステリア・ステップの伊藤社長の実家がある事で陸前高田市へ……との発想がありましたが…現地をこの目にしてなおさらに陸前高田市へ桜の苗を植樹する意義を強くしましたッ………苗の成長を三年後…五年後…十年後……とその成長を確かめに何度も足を運びながら…現地の復興の為に少しでもお役立ちを果たして行こうと想うし……決してこの被災の事実を忘却の彼方に押しやることは無いと誓えるように想えますッ!

植樹は陸前高田市の奥地になりますが……中尊寺の金堂にも使用された金山がかつては有った『陸前高田市玉山休養施設』の周辺に…バスで同行した心有る人達の他に…多くの地元のボランティアの方々の協力のもとに…二百本弱の桜の苗木を植えましたッ!

多くの人の善き協力を得たお陰で午前中に植樹は終える事が出来て………午後からは“みちのくの吟遊詩人…さとう宗之”の優しい歌声を聞かせて頂きましたッ!

さとう宗之さんは……本当に心からのボランティアでの出演で……今回の植樹に大きな共鳴をされて応援の為の出演でしたッ…………本当に心の清き人達は沢山居るもので……この二日間は私の心に満ちるものが…本当にいっぱい有ったように感じましたッ!

昨年の大震災と大津波が東北に起こった時に……私共の介護施設の幸望庵のスタッフが…どうしても被災地に行って自分達の想いを伝えさせてくれッ……という事で『桜プロジェクト』と称して桜の花びらに三千名の応援のコメントを集めて模造紙に桜の木を模して貼りつけ……非難所へ瓦礫が散乱している災害が起こって間もない頃に訪れたのですが………今回は本物の桜の苗木を届ける『桜プロジェクト』を完遂出来た事で被災地への想いを永遠のものに出来ましたッ!

今回に植えた桜の苗木が根付いたかが……とても心配なので来月には一度足を運びたいと想っているのですが………陸前高田は桜の咲くのが五月の連休辺りと聞いてきましたッ……関東の桜は愛でる事が出来ましたが…今年はもう一度…陸前高田の桜を愛でようと考えていますッ………今回植えた桜の苗木にも蕾が膨らんだ木が有ったので…それも咲くのを期待しながら行って来ようと想いますッ!

金山跡の『陸前高田市玉山休養施設』は……“霊泉 玉の湯”と言われて…日本一の美肌効果のある霊泉の温泉が湧いている施設らしいですッ!

被災地への経済効果の支援にもなるので……来月に私が現地に行く時には一緒に行く人を募るかも…………

この二日間の経験が私にとっては……人生観が少し変わるくらいのものでしたッ………自分の目で事実を見る事の大切さを再確認できたように強く想いましたッ…………自分の感覚で感じる事が肝要ですッ!
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